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赤道の真下という苛酷な位置にある地域なせいか、
砂漠の王国の素顔は手厳しく。
真上を通過する陽が齎すは、強烈な灼熱と乾き。
そして、そんな陽が落ちれば、
今度はその熱さえ するすると逃げてゆき。
昼間の装備のままでは凍えてしまうほどの夜が、
容赦なく訪れる。
そんな苛酷な地を、
そしてそんな領に生きる民を。
我らが覇王は、
類い稀なる能力と、豊かな包容力とで統べており。
あまねくの総て、一人余さず…という訳には さすがに行かぬのだろうけれど。
それでも、これまでこの地に君臨して来たどの王よりも、
手厚く長く、安寧の刻を齎してきた賢王として、
多くの民らからそれはそれは愛され慕われてもいたようで。
その理由は多分、
こういうところが意外な御仁でありながら、
されど、十分 周到だったからかも知れぬ。
◇◇
暦の巡り、新しい季節の訪のいの現れ、随分と陽の長くなった今日このごろの宵の余光が、真昼の灼熱でさえ届かぬ工夫のなされた王の居室を、優しい肌合いの明るみで満たしており。第一夫人であるシチロージの、この地の民には珍しい、透き通るような白さの肌や玻璃玉のような青い双眸、本当に貴鉱を梳き込んだような神々しい金の髪を、それは晴れやかな明るさで映えさせており。
「? らくだのレース、ですって?」
「ああ。」
常ならもっと、夜の帳(とばり)が色濃く染まり、静寂も深く満ちての今日と明日との境目が曖昧になる頃合いに。彼の方がその身を運び、妃の待つ閨を訪のうているものが。今宵は珍しくも昼下がりに使いが来てのこの運び。睦事だけではなさそうなと思っておれば案の定、そんな唐突な話を振られてしまい、
「なに、族長らの顔合わせが目的の、
挨拶代わりの宴のようなものさね。」
カンベエの統治にはとある特長があり、広大な王国のすべてを絶対の権勢で雁字搦めにして支配している訳ではない。当初の、まだ父王が惣領として率いていた頃の群雄割拠の時代には、対等な相手との鍔迫り合いをし、相手の戦力を壊滅に導き、王とその一族を追い払うという戦さをこなしていたけれど。それがどんどんと進んで、彼自身が王となって以降も支配する領域が広がってゆくにつれ、彼はその統治の方法を切り替えた。王や族長と、契約を結び、覇王の指示・命令には絶対に従うこと、領地から得られる富の何割かを毎年支払うことなど、その地その地に適した条件を提示して盟約を結ぶ、属領制度を取り入れたのだ。あまりに拡大した王国は、それがため、各地各地で大きに異なる文化風習を網羅せねばならなくなったからで。これまでの自身の基礎を覆され、その上で、無理から押し付けられたものへは、きっと反感も生じよう。そんな形で威容を示しても、怨嗟の種を生みこそすれ、長い安寧を保つのは難しくなるばかりに違いない。属国となるにあたっての盟約は、覇王にとっての利ばかりで紡がれてはなくて。北方の列強による侵略には、真っ先に駆けつけることも約束されており。そうやって、先をも見越した覇王の執った方針は、各地の族長たちにも、彼らが統べていた民にも受け入れられ、そうして今の安定があるとも言えて。
そんなこんなな関わりや交わりを持った族長らとの、
盟約や親交を確かめ会うための顔合わせ
「これまでは、届けられた貢物への親書と、
真金のインゴットを贈っておいでだったのでは?」
貨幣制度がない訳ではないけれど、それこそ土地によっては価値のレートもまちまちなのでと。換金に最も安定している純金をもって、誠意への返礼としていたはずなのに。何でまた今年に限って、そんな…わざわざ一堂に会すような仰々しい仕儀を、構えようと思うたカンベエだったものか。政治向きへの口出しなぞ、たとえ妃であれ言語道断なことではあったが、それが相談ではなく、決まったことだとする報告や宣詞でも、前以て聞かされたなら見解を口にしたくなるのは当然の理。どうしてそのような?との色合い含んだ言葉を返した、玲瓏聡明な正妃へと。背中まで届こうかという鋼色の豊かな髪がいや映えて、男臭い精悍さもいまだ衰えぬ、それは雄々しきお顔に、不敵な…何かしら企んでおいでなような笑みを浮かべた覇王様。いつも愛用の長椅子に腰掛けておいでのそのまま、肘かけへと肘を乗せ、お髭をたくわえた顎先支える右手の先、ふふんと笑って、信頼厚い妃へとお告げになったのが、
「自慢の妃らの艶姿を、族長らへ見せびらかしとうなったのでな。」
「な……っ。」
何という戯言を申されるかと呆れたその反射とほぼ同時、シチロージの胸中へ勢いよく立ち上がったものが一つあって。
“……………あ、”
つい最近の我らの日常には、僅かながらも変化があった。不遇に過ごして来た第二妃の想い人というのが、やっとのことで無事見つかった…だけじゃあない、奇縁あってのこと直接の再会まで果たせたという一大事があり。ヘイハチもその想い人というお人ともども、今のところはこれまで通りにこの地に居残ってくださるらしいが、
“そのバタバタですっかりと忘れていたけれど。”
遠出ということは…もしかして、と。こちらの妃様にも思い当たるものがあり。そして、それを今頃に持ち出して、我らへの内緒の贈り物にしようという企みなのかも知れず。
“だとすれば…。”
ここでその一端でもお明かしになった彼だということは、この自分を、まずはの共犯者に選んでくださったと喜ぶべきか。
それとも。
一番最後に内緒を明かされることで、その反動から目一杯驚かされるのだろう誰かさんをこそ、優先していなさる覇王様なのかしらと。大人げなくも余計な勘ぐりをし、いかにもな悋気を込めた棘、投じておいたほうがいいものか。何をされよが どう運ばれようが、結果、唯々諾々とついて行くような“柔順”と思われるのは業腹なれど。このお人の選ぶものや進む先が、自分の意に添わなかったことが そうはなかったものだから。
“そうだ、そここそが癪なのだ。”
いっそ、気が利かなくて頑固頑迷で、因習ばかりを重んじるような浅はかな愚王であるのなら。立てる必要も無しと いかようにも振る舞えるものを。若しくは、才気走ってばかりいて、人の気持ちを後回しにするような、怜悧な御仁であったなら。その鼻明かして見せようぞという反発に せいぜい奮起したものを。
どうしてだろか。
お人の悪いところまでもが、
このごろでは愛おしくてならない御主なものだから。
「? 如何したか?」
「……いいえ。何でもありませぬ。」
僅かにでも抵抗をと考えて、だがだが、却って小賢しいだけとの結論の下。覇王様から掛けられたお声へ、にっこり微笑った妃がその代わりにと紡いだのは……。
◇◇◇
城塞に囲まれた城下では、そうは見渡せぬ広大な砂漠の原。どこまでも果てしのない広い広い地の果てに、空との境目、地平線だけが待ち受ける、何とも大きな風景の中。さくりっ、さくりっと、蹄が砂を刻む音を楽しんでだろう、愛馬の軽快な跳ね足に合わせ、その背で身を弾ませつつ、砂の原を駆け続ける人影があり。何かから逃げている訳でなし、ただただ伸び伸びと風のように颯爽と駆けることをのみ堪能している、真っ赤な外套まとったその人馬へと、こちらもなかなかの俊足にて、ひたりと付き従いての逃すことなく追っているのは、残念ながら、王の身辺を守るが務めの親衛隊の精鋭…ではなくて。
「キュウゾウ殿、あんまり駆けると皆がついて来れませぬ。」
そちらもまた、相当にしっかとした駆けようを披露する純白の馬と、それを巧みに操る馬上のお人。白っぽい砂の原には陰のようにいや映える、濃い色合いの紫のベールをたなびかせ。手綱操る腕も肩も、それは華奢な身でありながら、風のように翔って止まらぬ、紅蓮という名の赤毛とその主人を、余裕で追っていたのは誰あらん。この地の主人でもある覇王の第一夫人、その人であり。
「………、…紅蓮。」
凛と掛けられたお声が届き、我に返って下さったものか。そのまま天へさえ駆け登りそうな勢いだった速足を、やっとのことで緩めたは。こちらも妃の…つまりは女性が駆っていた駿馬だったのだけれど。
「…さすがは、どこまでもと駆けてみたいと
駄々を捏ねられただけのことはありますね。」
そんな彼女に追いつけた、いやさ、声が届くほどの間近に追従できたのは。結局のところ、こちらも愛馬のクリスタを駆っていたシチロージのみであり。
『平和な世になったのはありがたいが、
自慢の手綱さばきや
王の速駈けにも引けをとらなんだ騎馬術を、
見せられる機会を失ったは いと残念と。
日ごろ零しておいでと噂の
親衛隊騎馬部隊の勇者の皆様にも、
我らの護衛固めに出ばっていただかねばなりませぬ』
こたびの遠出は、覇王が妃も同伴で出張るという異例のそれと訊いて。だがだが、輿に乗っての悠長な移動は真っ平だと、やはりヘソを曲げたキュウゾウだったのへ。
―― 自分で愛馬を駆ってもいいのですよ、と
こんな思わぬ格好で、ずっとずっと望んでおられた遠乗りを叶えてあげましょと。持っていったはカンベエなのだが。
「………シチ。///////」
彼女らもなかなかの剛の者、女傑の護衛がおれば十分であろうと、男の伴走者をつけよとの希望、取り合わなかったカンベエへ。ならばそのまま、我らがそれぞれの母国まで駆け去ってしまっても知りませぬぞと、ふふんと笑ったシチロージだったらしいとの顛末までを訊いたキュウゾウ。こたびの嬉しい運びの一番の功労者は、彼女の中ではシチロージだということになっているらしく。速足なだめた紅蓮を待たせ、まるで雪でも避けるフードのような、厚絹の陽よけのかづきの下、色白な頬を興奮で真っ赤に染め上げて。まるで、いの一番に飛び出した草原で、これこれお待ちと声を掛けた母御を待つように。柔順そうにいい子で待つ姿も愛らしい彼女であるのを、こちらもまた、微笑ましいことよと目許をたわめて見守って。
「さすがは駒も人も若いと違いますね。」
あれだけ駆けても一向に疲れを見せぬとはと、風にひるがえるベールの陰、そちらもさして疲れてなぞいない第一妃が頬笑んで。
「とはいえ、
護衛の殿方らのお顔も、少しは立ててやらねばなりませぬ。」
護衛は女傑で十分なぞと、カンベエが言ったそのままにしていたら、今頃どうなっていたことか。直接の間近に付き従っているのは確かに女傑の護衛陣だが。そんな彼女らの作る輪の中にいるのは、もはや…平八と侍女らを乗せた、幌屋根つきの輿 数台だけで。それっと駆け出した紅蓮とクリスタなのを、慌てて追った男衆の騎馬隊さえ振り切った俊足も、彼女らに言わせれば、ずんと鈍っているそれだというから恐ろしい。
「いくらここいらも覇王様の領とはいえ、
どこに何が潜んでおるか判りませぬゆえ。」
そうと言ったシチロージが見渡した先には、正青の空の裳裾を受け止める、砂の地平しか見当たらないのではあるが。そしてそんな地平線を、ついと延ばした腕の先、小さな手の指で差して見せたはキュウゾウで。
「あの総てを兵で埋め、
一斉に押し寄せるという壮大な用兵を、こなしたことがあると。」
相変わらずに言葉の足りぬ姫じゃああるが、そこまでの戦さ話を彼女にしそうな殿御は限られているし、しかもキュウゾウ自身が何とも誇らしげに語っておいでと来ては。
「カンベエ様が仰せになられたのですね?」
「………。///////(頷)」
この姫へそんな物騒な寝物語をしていると、そういや聞いた覚えもあったけれど。こうまで屈託なく持ち出されると、いっそ勘気立つのも馬鹿馬鹿しいと。結句、苦笑が止まらぬシチロージだったそうで。深紅と紫の衣紋をまとわれた二人のお妃様へ、やっとのこと護衛の騎馬衆が追いつくまで、砂の広野はただただ静かで。彼女らを庇護する覇王のように、それは寛大に押し黙っていたそうな……。
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